作品考察 目次 ※不定期更新

 

(原)・・原作漫画版

(ア)・・アニメ版

(外)・・外伝・番外編

(作)・・作品背景/その他

 

01.二つの「侍ジャイアンツ」世界(原)(ア)

02.異なる主人公の性格(原)(ア)

03.優勝を逃せば連載終了(作)

04.サムライの死は必然か否か?(原)

05.「魔球」へのスタンス(原)(ア)

06.アニメ化における大幅なアレンジ(ア)

07.魔球第一号「ハイ・ジャンプ魔球」(原)(ア)

08.荒唐無稽ここに極まれり!「大回転魔球」(原)(ア)

09.点回帰の象徴「ハラキリ・シュート」(原)

10.最後の切り札「分身魔球」(原)(ア)

11.増えすぎたライバル(原)

12.策士!野村克也監督(原)(ア)

13.何だったんだ?ポポ・エンリコ(原)

14.モーレツ、野獣、そしてサムライへ(作)

15.井上コオ先生を探せ!(原)

16.幻の「ナンパ侍」と90年代特有の空気(外)(作)

17.去っていくヒロイン(原)(ア)

18.美波理香の原型?(作)

19.侍ジャイアンツ終了後の「他誌では読めない巨人軍漫画」(作)

20.空白の一カ月に何があった?(原)

21.不定期更新(原)(ア)(外)(作)

22.不定期更新(原)(ア)(外)(作)

 


01.二つの「侍ジャイアンツ」世界

(原)(ア)

 

「侍ジャイアンツ」は原作漫画版とアニメ版では相違点が多く、結末も全く異なる。

アニメ版は原作漫画版の展開をベースとしつつ、あくまでも別物として作られた印象である。またキャラクター設定等も微妙に異なり、基本明るい雰囲気が維持され大人も子供も楽しめるテレビ作品として成立している。これはアニメ化が連載後半になってからであり、設定の整理や約一年という放送期間等を考えるに正しい判断だったと言えるだろう。事実様々なメディアで本作が語られるときはアニメ版を指すことが多い。その功績を十分に認めつつ、約三年という長期連載となった原作漫画版が積み上げてきた数々のエピソード、蛮と八幡の葛藤とそれを乗り越える精神力、史実とリンクしたドラマチックな展開は実に読み応えがあり、特に魔球路線を経て速球に回帰する流れは大いに評価したい。

原作漫画、アニメは「どこで物語が分岐するか?」というレベルの違いではなく、そもそも開始時点から劇中の年代設定も異なり、互いに影響を与えつつ独自に展開していくのである。

どちらが優れている等と無粋な比較は必要なく、それぞれの世界を楽しむのが正解だろう。

 


02.異なる主人公の性格

(原)(ア)

 

「番場蛮」と言えば明るくサッパリした性格で良く笑う好人物という認識ではないだろうか。

その認識は正しいが、本作の愛すべき主人公の性格は原作漫画版とアニメ版で少々異なり、前者は意外と繊細な面を持つ。後者のイメージで読むと驚く読者もいるのではないか。(そのアニメ版も後半は蛮の性格に変化が現れ、原作漫画版にやや近付いた印象なのだが。)

ハイ・ジャンプ魔球が破れ自暴自棄となり乱闘騒ぎの末に命を絶とうとまで考え込んでしまうエピソードや、ライバルたちの活躍ぶりに焦りを感じ八幡に本心を露呈するシーン、時には試練の連続に涙を流すシーンもあり、基本は明るく親しみやすい性格だが脆い面も度々描かれる。その逆境をサムライ・ガッツで乗り越えていくのだ。

原作漫画版は週刊少年マガジンやサンデーよりも対象年齢が低めの週刊少年ジャンプ連載であることもあり、どうしても派手な活躍シーンに隠れ細やかな心理描写等に注目される機会が少ないのは残念だ。序盤で語られた「サムライはおのれを知るもののために死す」という姿勢を最後まで貫いた熱いドラマを是非確認して頂きたい。この作品が「ジャンプ的な巨人の星」ではなく「侍ジャイアンツ」という唯一無二の存在である事がお分かり頂けるだろう。

 


03.優勝を逃せば連載終了

(作)

 

本作は「巨人が優勝出来なければ連載も終了する」と当初から決まっていたと様々な記事で説明されているが、連覇ならず=即作品終了(すなわち打ち切り)というややネガティブな印象で語られる事も多いのは残念であり、それは間違いである。掲載誌の週刊少年ジャンプは表紙に記載される日付と実際に店頭に並ぶ日に大きな差があり、約27日間の間隔がある。

※最終回掲載号の1974年10月14日(第42号)は9月17日に発売されている。中日ドラゴンズのセ・リーグ優勝が確定したのが約一ヵ月後の10月12日である。

前年のV9が危ぶまれていたときも作品終了に向けて調整中であったとされるが、史実は実にドラマチックな展開でV9を達成、それに絡めた物語は盛り上がり、連載は運命の昭和49年へと進むこととなった。

原作者の他作品では約一年前の史実を基に物語を作り上げる手法が見られるが、本作は史実と作中における時期の間隔が狭く、その影響を受けやすい。事実最終第11章「V10試練の章」では苦しい状況であることが作品内容からも伝わってくる。そういった現実を背景にした上での判断や、本作終了後に間髪入れず始まった次回作「炎の巨人」(原作:三枝四郎先生、漫画:竜崎遼児先生)との調整、そしてアニメ版終了(1974年9月15日に第46話「世界に輝く侍ジャイアンツ」放送。9月22日、9月29日は再放送)のタイミングもあり連載終了となったと思われる。そして終了から僅か一カ月後に巨人は優勝を逃すこととなった。

現在「優勝を逃したら即連載終了」という文言が拡大解釈され一人歩きしている感があるが、実際は優勝を逃す前から終結に向けて物語は進行していたのである。

だが全てを上手く纏めることが出来たかといえば難があるのは事実。分身魔球の登場が唐突で誤解されやすいのは確かである。史実をほぼリアルタイムで反映させながらの終了時期の調整が難しいことを理解しつつ、作品の完成度を高める意味でももっと早く登場して欲しかったものである。

 


04.サムライの死は必然か否か?

(原)

 

原作漫画版について触れるときに必ず話題に上がるのがその結末。V10をかけた天王山である中日との三連戦において、限界を超えて魔球を投げ続けた蛮はマウンドで仁王立ちのまま絶命してしまう。まさに衝撃のラストである。これについては賛否分かれるのも当然であり、V9選手として祝福されるアニメ版を好むファンも多いのは頷けるが、原作漫画版を通して読むと、この結末は必然ではなかったのか・・・とも思える。巨人という「でっかいクジラ」へ反発し腹破りを宣言した彼は、それを丸ごと受け止めた器の大きさに触れ、己を知る者の為に死す事を決意する。

長期連載となった本作だが、次世代巨人を背負うために必要であった筈のサムライは、やがて今現在の衰えつつある巨人を支える存在となっていく。原作漫画版解説でも触れたが、明るく豪快な性格の彼も史実の影響を受け、やがて低迷する巨人の中で一人奮闘する存在として描かれるようになる。その印象はそれまでのものとは異なり、最終章での彼は明らかに無理をしているのが読者にも伝わってくる。

この路線のまま進んだとき、「巨人の優勝」以外に蛮の死は避けられなかったのか?まさかこの作品が主人公の死で終わるとは思わなかった読者も多かったのではないだろうか。だが巨人のために殉ずる覚悟を持った主人公の性格、徐々に追い詰められていく最終章までの流れ、そして現実の巨人の状況から辿り着いた「なるべくしてなった結果」と思えなくもない。それだけにV10の望みを繋ぎ、力尽きたサムライを失った川上巨人の結末を外伝的な形でも読みたかったと思う。物語としては蛮の死の時点で終わるのが纏まりは良いが、巨人の危機と蛮の奮闘を描いてきただけに、作品世界においてその結末が描かれることを望んだ読者は確実にいたのではないか。

 


05.「魔球」へのスタンス

()()

 

本作を象徴する「魔球」はインパクト絶大であり、本作と言えばハイジャンプ魔球や大回転魔球を連想する方も多いだろう。原作漫画版(全11章)では後半である第7章「魔球の章」、アニメ版(全46)は第21話「出たぞ!ハイジャンプ魔球」からの登場となる。決して早い時期での登場ではないが、これは原作漫画版が当初目指していたものは魔球による活躍ではなく、集団競技としての野球の醍醐味を描くことであるのが理由であり、アニメ版はストーリーの構成上の理由(原作漫画版の作中期間である約四年分のエピソードを一年の中に凝縮、再構成。つまり話数においては魔球の登場は中盤であるが、物語的には非常に早い段階での登場となる。アニメ版はプロ入り一年目、公式戦デビューの時点で魔球を披露するのだ。)である。

既に同原作者の「巨人の星」においても魔球は登場しているが、その原理に迫り、ライバルが打倒を目指す流れを本作も踏襲すると思いきや、それぞれ異なる方向へ話が進む。アニメ版は原作漫画版をベースとしつつ展開が見直され、ハイジャンプ魔球が敗れるとすぐさま対策を練り、エビ投げハイジャンプ魔球へ進化、それが敗れると大回転魔球、さらに分身魔球と息つく間もなく新魔球の開発とライバルたちとの死闘が続く。そこに他作品のような悲壮感はなくテンポ良く進み視聴者を飽きさせない。最終回はその集大成とも言うべき魔球を披露し完結している。魔球というアイデアを十分に活用し、娯楽作品として上手く纏めたと言えるだろう。

対して原作漫画版は大回転魔球敗北後、美波理香の再登場を経て原点回帰を意識するようになる。敢えて魔球を捨て速球で挑む展開は熱い。また、それ以降に登場するハラキリ・シュートと分身魔球は名称こそ魔球扱いではあるが、それまでとは性質の異なる「速球」の正当なる進化系である。ここで土佐の荒々しい快男児に戻ったことは大いに評価したい。

「魔球」へのスタンスが原作漫画版とアニメ版で結果的に真逆となったのは興味深い。

 


06.アニメ化における大幅なアレンジ

(ア)

 

アニメ版「侍ジャイアンツ」は原作漫画版をベースとしつつ、その内容は大幅に異なり、特に後半は全く別物と言っても過言ではない。物語は巨人のV9が危ぶまれた1973年を舞台としている。この一年の間に我らが番場蛮は巨人に入団し、数々の魔球を生み出したのだ!!物凄い密度である。考察05『「魔球」へのスタンス』でも触れたが、アニメ版本編は実にスピーディーな展開で、欠点が判明すれば即座に魔球開発に乗り出し、その華々しいデビュー戦では第一打席で凡退したライバルが次の打席では攻略に乗り出す!早い段階で魔球は破られるも、すぐに次なる新魔球開発の特訓が始まる!!と最終回まで一切ダレる事はなく視聴者を惹きつける実に面白い作品であった。同じ原作者であり、アニメ版もヒットした「巨人の星」との差別化は十分に出来ていた。蛮も魔球が破れる度に落ち込むが、立ち直るスピードが早い早い!これは「巨人の星」との作風の違いであり、優劣をつけるものではないが、このスピーディーさが本作の魅力であることは間違いない。約一年という放映期間を高いテンションで乗り切ったが、もしこの作品が原作漫画版を忠実に再現し数年放映されていたらどうなったか?おそらくは現在とは全く異なる印象となったであろうことは容易に想像つく。原作漫画版の連載後半になってからのアニメ化であったこと、当時の巨人軍の弱体化が原作漫画版の作品内容に徐々に影響していたこと、当時のアニメ作品は契約上、半年~一年の放映となることが多かった等の様々な理由から「辛うじてV9を達成した1973年」に絞った内容となったが、それが結果的にアニメ版独自の魅力を生み出したのは幸運であった。

分身魔球登場後は完全にアニメ版オリジナルの展開となるが、それまでの展開をも上回る盛り上がりで、後に分身魔球自体が原作漫画版に逆輸入されたのも納得である。まさに「もう一つの侍ジャイアンツ」に相応しい。

尚、原作漫画版とアニメ版は同時期に終了しており、「原作漫画版の終盤の展開(の読者の反応を踏まえて)結末を変更した」という風説は明確な間違いである。アニメ版独自の展開の末に「なるべくしてなった堂々たる結末」だったと言えるだろう。

※アニメ版最終話(1974年9月15日放映)直後の9月17日に原作漫画版の最終回掲載の週刊少年ジャンプが発売されている。

 


07.魔球第一号「ハイ・ジャンプ魔球」

(原)(ア)

 

原作漫画版第7章でついに登場したオリジナル変化球。その名は「ハイ・ジャンプ魔球」

マウンド上から飛び上がり、高角度から全体重を乗せて投げられた剛速球に対し、打者はあまりの高低差に対応出来ないという恐るべきものである。

それまでのストイックな展開から一気に魔球路線に変化。この変化を良しとするか否かは意見の分かれる所であろうが、作品人気の面でいえば間違いなく成功であった。「投手としての致命的な欠陥の判明後、主人公だけのオリジナル変化球を開発する」という展開は過去の作品でも見られたが、そこは豪快な作風である本作らしい魔球となった。

ボールではなく投手のフォームが変化しているのが特徴。厳密には変化球ではなく変則的な投法であり、ボール自体は勢いを増した直球である。原理も何も見たままなので、「巨人の星」における「消える魔球」のような謎に迫る展開はない。ライバルたちの対策も従来とは異なり、結果として地味なバントによる対策が最も有効であったという意外な展開である。原作者の過去の作品の踏襲と思いきや、他の作品ではありえない独自の魔球を生み出したことは評価すべきである。例えるなら星飛雄馬が、水木炎がハイ・ジャンプ魔球を披露する姿が想像出来るだろうか?

井上コオ先生の親しみやすい魅力的な絵柄、それまでのエピソードで作り上げた主人公像、そして明るい雰囲気でなければ成立しない「魔球」なのだ。

この魔球はアニメ版では若干異なり、開発過程とその効果はほぼ同一ながら、ライバルたちの動向がアニメ版独自のものであった。眉月によって破られた展開は、眉月との死闘の末に弱点が発覚し、大砲が破る展開へ変更。そこから球道をギリギリまで読ませず、更に勢いを増した「エビ投げハイジャンプ魔球」へ進化。その進化版もやがてウルフの空中打法により攻略されるという息つく間もない展開で盛り上がった。

それまで築き上げた雰囲気、キャラクターの魅力を損なわずに強いインパクトを残した魔球編もまた魅力的であり、是非その目で確認頂きたい。

 


08.荒唐無稽ここに極まれり!「大回転魔球」

(原)(ア)

 

ハイ・ジャンプ魔球敗北後、自暴自棄となった蛮が妹ユキに励まされ立ち直り、命を落としかねない危険な特訓の末に生み出した魔球 2 号「大回転魔球」

「高所からの着地によって起きる土煙で野手がカバー出来ない」「着地の際に自重を支えるため機敏に動けずバントに対応出来ない」という弱点を克服した新魔球のインパクトはハイ・ジャンプを上回り、実に週刊少年ジャンプ連載漫画らしいものであった。これも他の作品では想像し難い、プレート上で高速回転後に豪速球が打者に向かってくる設定で、どのタイミングで投げるか打者からは予想出来ない恐怖の魔球である。誕生に至るまでの過程がこの作品にしてはヘビーで、先述した通り自暴自棄となり街で乱闘騒ぎを起こした際に「破滅・・・なにもかも終わりだ」と絶望してしまうシーンは本作では珍しい。(立ち直りも早くすぐさま開発に乗り出すので、本作で重い空気が維持されることは殆ど無いが。)

派手な印象の魔球だが、物語は既に史実の影響を受け始めており、デビュー戦で負傷退場、長期の戦線離脱を余儀なくされる等、中々活躍の場に恵まれないのは意外である。もっとも負傷退場後に第一部完となり、約一カ月の休載期間を経てアニメ放映開始直前のタイミングで第二部がスタート、その一回目で大回転魔球を派手に披露しているので史実以外の理由があった可能性もある。

この魔球2号も球道はストレートの豪速球であり、その変則投法が最大の特徴である。マウンド上でその名の通り回転する姿はあまりに荒唐無稽だが、本作はそれが違和感なく馴染んでしまう世界観なのが面白い。魔球攻略のために様々な手段で挑むライバルたちの描写も見どころだが、ここで原作漫画版は魔球の描写に関しては行き着くところまで行った感がある。アニメ版は「なぜ大回転魔球を思いついたのか?」という過程が省略されているのが残念だが、その特訓方法は樽の中に入り斜面を転がり落ち飛び出すという原作漫画以上にハチャメチャな内容とノリで楽しい(笑)映像で見る大回転魔球は視覚的にも迫力あり見応えがある。原作漫画版では不二、アニメ版では眉月がそれぞれ異なる方法で打ち破ることになるが、特に後者は打倒のための特訓描写が丁寧に描かれ話を盛り上げた。ハイ・ジャンプ魔球と並び本作のイメージを決定付けた魔球であることは間違いないだろう。

 


09.原点回帰の象徴「ハラキリ・シュート」

(原)

 

原作漫画版後半に登場した偶然生まれた新魔球「ハラキリ・シュート」

アニメ版には登場しなかったこの魔球は本作の原点回帰を象徴する存在である。

小柄故に投球フォームの大きさが致命的な欠陥となり、自分だけのオリジナル変化球の開発に乗り出す流れであったが、本作ならではの豪快な魔球が連続で登場した後のまさかの展開、大回転魔球を打ち破った大洋ホエールズの不二を魔球無し、策も無しの気迫の速球で打ち取るのは、まさに序盤において眼前に迫るボールを瞬きもせず見据えていたサムライ番場蛮への回帰を意識したものだろう。

原作漫画版において新たなライバルが複数登場し、大回転魔球での活躍を描いていた絶好のタイミングでアニメ版がスタートしている背景を踏まえると、大胆な方向に舵を切ったことに驚く。

単純に考えればハラキリ・シュートは魔球の名を冠するがあくまでも通常の変化球であり「絵的には地味になる」筈だが、日本シリーズにおいて負傷を庇いながら投球した事で腹を抉るような恐るべきナチュラル・シュートが生まれる展開、理香との切ない別れ、そして原作者得意の格闘技(空手)というジャンルを絡ませたハラキリを巡る攻防戦と物語のテンションは上がり続け、原作、作画とも大いにノッているのが分かる。本作だけの持つ魅力を確立したのはまさにこのときだったのではないか。剣術使いである太刀風兵庫の登場もこの展開に手応えあってのことだろう。

これは魔球路線が失敗だったという意味ではない。現にアニメ版を含め本作の魔球を巡る攻防戦は人気エピソードである。その「魔球の要素」を残しつつも原点に返る展開には唸らされる。

ハラキリ・シュートの作品内における扱いは本作だけでなく、原作者の他作品と比較しても独特なものであり、後続の作品においても魔球の登場は(少なくとも連載開始時点では)想定されていない点からも「魔球」の一つの完成形であったと確信する。

 


10.最後の切り札「分身魔球」

(原)(ア)

 

空手の達人、大山田拳に鍛えられ習得した「自然借力法(じねんしゃくりきほう)によって瞬間的に硬球をも握り潰す握力を手に入れ誕生した切り札「分身魔球」
魔球を絡めたテンポの良い展開で盛り上がり、視聴者を惹きつけたアニメ版において、ついにオリジナルの新魔球が誕生した。

現在のように「原作漫画の忠実なアニメ化」は求められておらず、自由な表現が出来た時代だが、全く異なるストーリーに驚いた読者もいたのではないか。原作から離れた展開となったことで所謂梶原一騎作品的な面白みが薄れてしまったかといえばそうではなく、実に本作らしい熱い展開となった。大山田拳はその名前からも分かるように同原作者の「空手バカ一代」の主人公、大山倍達(アニメ版では飛鳥拳)を思わせる人物である。一見野球とは関係なさそうな(だが命がけの)特訓が続き、ついにその特訓によって新たな魔球が誕生する。この魔球によって巨人は息を吹き返し、ついにV9を達成するのだ。「自然借力法」は実にハッタリの効いた理屈で「そんな馬鹿な!」と思いつつも強引に見るものを納得させるインパクトがあり、分身魔球の投球フォームは空手の動きを反映させた外連味溢れるものである。原作漫画とは違う形で「サムライ」らしさを強調した展開となったが、この泥臭い展開を原作者も気に入ったのか、または最後にふさわしい魔球と判断したのか、分身魔球は原作にも逆輸入されることになる。その登場は何と最終回一話前!誕生の経緯は異なり、二軍落ちしていた蛮は「一ヶ月の特訓」を経て戦線に復帰、V10を目指し奮闘することになる。残り話数的に描くタイミングを逸していたとはいえ、どんな特訓だったのかは明かされていない。自然借力法(若しくはそれに近い技)が存在するのかは不明。アニメ版で一度は不可能とされたボールの変形を原作漫画版では力任せに行っている描写からも体力の消耗が激しいことは明白であり、それが最終回の展開に繋がるのである。ここの描写が不足している点は非常に惜しいところであり、分身魔球の登場にもっと時間が欲しかった。アニメ版からの逆輸入ながら、この魔球はハラキリ・シュートと同じく速球の延長線上に位置する存在であり、原作漫画版への登場も違和感は無い。八幡の言葉を借りるなら原作、アニメとも最後にふさわしい「ウルトラ・スーパー魔球」であった。

 


11.増えすぎたライバル

(原)

 

原作漫画版では後半ライバルが3人追加、その後更に1人増えるが、初期のライバルたちを含め出番が一部に偏り、明らかに増えすぎたキャラクターを持て余していた感がある。アニメ放映も間近となり、ウルフの帰国を機にレギュラー陣の入れ替えと新魔球で更なる人気獲得を目指した結果と思われるが、それが全て上手く機能したとは言い難い。

序盤から登場している眉月は史実におけるヤクルト低迷の影響もあり出番が減少。前半で幾度となく蛮を追い詰めただけに残念でならない。だが終盤に再登場し、失恋に苦しむ蛮を敢えて挑発し奮起を促す名エピソードは彼でなければ成立しないものであった。

大砲は幸い眉月程の影響は受けなかったが、対決描写に特化した印象で特筆すべきドラマは無かったと言わざるを得ない。そして新ライバルたちであるが、明智、不二、ポポとそれぞれ性質の異なるタイプが登場したものの、各々の背景まで掘り下げることはなく、やはり対決に終始する事となった。より読者へのアピールを意識した結果であり、掲載誌の性格上それは間違いではないが、キャラクターが増えすぎた弊害としてポポは全くと言って良いほど出番がなく自然消滅してしまう。消化不良となった点もあるが、明智と不二は面白い存在であることは確かで、一長一短ある増員であった。

尚、この三人の後に登場した太刀風は初めから一度きりの対決に特化したライバルとして登場し、それが上手く後半の展開に絡み合った成功例と言えるだろう。これが先の三人の展開を踏まえてのことかは不明だが、結果終盤を盛り上げたのは確かである。

※内容が再構成されたアニメ版のライバルは眉月、ウルフ、大砲の三人に絞られている。

 


12.策士!野村克也監督

(原)(ア)

 

複数のライバルが登場した本作だが、もっとも主人公を追い詰めたのは誰なのか?

眉月、ウルフ、大砲、不二、明智、ポポ、太刀風・・・様々な意見はあろうが、南海ホークス・野村監督をここでは最強の敵としたい。

野村監督はハラキリ・シュート誕生に絡んだ昭和48年日本シリーズと、それに引導を渡した昭和49年オールスター戦での活躍が印象に残る。特に後者に関しては既に最終回間近、巨人のⅤ10危うしと作品の雰囲気も重くなる中、それまで無敵を誇ったハラキリ・シュートを「地味」且つ「確実」に、そして「全打者が容易に再現可能」な攻略法を思いつき実行、使用不能にまで追い込む展開に驚く。「ライバルが血のにじむ特訓を重ね、主人公の編み出した切り札を打倒する!」といった王道の燃える展開ではなく、捕手としての視点でハラキリ・シュートを冷静に分析。魔球の攻略を目的とせず、いかに出塁するか、そしてパ・リーグが勝利するかを最優先とした野村監督の戦法は実にシンプルで、「バントの構えによって視界を遮ることで、捕手はあまりに激しい変化に対応出来ず捕球出来ない」というもの。その効果は絶大であり、実にあっけなく魔球の命は尽きる。元々「魔球の否定」から生まれたハラキリ・シュートがこういう形で消え去るのが計算されたものであるとすれば、原作者・梶原一騎の才能恐るべしである。何せ野村監督は一度も打っていないのだ。野球とはいえ本作では「個と個」の対決が中心に描かれる中で彼が重視するのは「チームの勝利」あるのみ。原点回帰を目指した後半らしい、絵的な派手さは無いが内容で魅せる素晴らしい展開である。そしてこの敗北を経て物語はついに終局へ向かうのだ。

アニメ版第40話、第41話でもその策士ぶりは遺憾なく発揮され、蛮だけでなく八幡、他の巨人選手もその戦法に苦戦を強いられる。「ルールの範囲内であればあらゆる事を利用し勝利する」その言葉通り恋愛感情まで利用した非情な戦術と巧みな話術で心理的に揺さぶる展開は滅法面白く見応えがある。所謂「ライバル」ではないが、野村監督こそもっとも恐ろしい、蛮と巨人を追い詰めた存在だろう。

 


13.何だったんだ?ポポ・エンリコ

 (原)

 

「10.増えすぎたライバル」で触れたが、番場蛮の前に立ち塞がったライバルの中で唯一、「全く」何の見せ場もなく消えたポポ・エンリコ。

初期のライバル三人に続き新たに登場した新ライバル三人!と期待させたものの、実際は「阪神タイガース所属のライバル」の座は後に登場した太刀風兵庫に奪われ、蛮との本格的な対決が無いまま自然消滅してしまった。大回転魔球に歯が立たず、バント作戦が失敗する様子が少々コミカルに描かれ、それで出番終了とは誰も思わなかったのではないか。殺人スライディングで前半を大いに盛り上げたウルフ・チーフとは雲泥の差である。この差はどうして生じたのか?その明確な理由は不明だが連載時の状況を確認すると、ポポを含む三人のライバルは第一部完結直前、つまりアニメ化を前に一旦休載となる時期に登場している。大回転魔球公式戦デビューもつかの間、負傷により蛮が戦線離脱を余儀なくされたタイミングである。史実における巨人の不調も絡む複雑な時期で、所謂強化案として出てきたと思われるが、せっかくの魔球デビュー戦で主人公が負傷してしまう展開と同様に史実の影響は大きかったと感じる。(アニメ化を前にして魔球、新ライバルと盛り上がる要素を準備してからの休載とも解釈は出来るが。)

登場と同時に躓いてしまったが、期待を集めるアニメ版放映開始のタイミングで第二部がスタート。魔球は冴えに冴え魔球路線のピークを迎えることとなり、明智、不二との対決もそれぞれ盛り上がったがポポの出番は無かった。展開上、彼のエピソードを描く余地は無かったのか・・・?その可能性を太刀風の存在から考えると、太刀風のエピソードは原作、作画ともテンションが高く、描きたいものを思いきり描いている印象である。このエピソード後に物語は最終章となるため、もはや話数的にも内容的にもポポの入り込む余地は無くなってしまった感はある。ポポの何でもこなせる万能さは逆に選手としての特徴に欠けているのは確かであり、陽気なキャラクターはどこか暗い影を落とす終盤には合わない。特徴の塊のような剣術使いである太刀風を後に登場させたのは面白さを追求した結果であるかもしれないが、これによってポポが意味不明なキャラになってしまったのは事実である。

また現行の単行本では三人のライバル登場時に最後に紹介され「そして・・・」と別格のように扱われているが、実はこの頁は連載時には存在しない。何が「そして」なんだと突っ込みたくなるが、ライバルにも所謂ネタキャラ的にも活かせなかったのは惜しい。番外編的なエピソードでも是非活用して欲しかったキャラクターである。

 


14.モーレツ、野獣、そしてサムライへ

(作)

 

「侍ジャイアンツ」にはプロトタイプ的な作品「モーレツ!巨人」「野獣の弟」が存在する。

後に「侍ジャイアンツ」で大いに活かされる魅力的な設定の一部はこの二作から生まれるも、それを十分に活かせたとは言い難く、三度の挑戦にてヒット、ようやく花開くこととなる。「球界の王者である巨人軍、紳士ジャイアンツに破天荒な快男児が入団し活躍する。その背番号は死を意味する「4」である」物語は、その主人公を「モーレツ」「野獣」と表現し、ついに「サムライ」に辿り着く。前二作の主人公と比べると番場蛮は豪快さは当然として明るい性格が強調された。これは掲載誌「週刊少年ジャンプ」の性格や井上コオ先生の温かみのある絵柄の魅力あっての事だと思われるが、この明るい作風は作品世界に実にマッチしており、世代を超えて長く愛される主人公が誕生することになった。前二作が原作者の代表作の一つ「巨人の星」主人公である星飛雄馬との差別化を図りつつも不完全な結果となったことを踏まえるに「侍ジャイアンツ」は掲載誌、原作者、漫画家、そして史実が絶妙なタイミングで出会った幸運な作品であったと言えるだろう。そしてこの三作に共通する「近い将来に訪れるであろう巨人の弱体化」の予言は、まさに「侍ジャイアンツ」連載中に的中することとなる。

「巨人のサムライ」というコンセプトは原作者も気に入っていたのか、「侍ジャイアンツ」完結から数年後、四度の挑戦として「巨人のサムライ炎」が発表されている。が、この時期の巨人の成績はかつてとは比較にならぬ程低迷しており、史実を背景に物語を進めるにはあまりに厳しい状況であった。結果として「侍ジャイアンツ」を超える作品とならなかったのは残念である。

 


15.井上コオ先生を探せ!

(原)

 

原作漫画版「侍ジャイアンツ」を読んでいると、度々球場、喫茶店等に井上コオ先生と思われるキャラが登場する。

特に台詞と説明はないが服装の何処かに「KO」とサインされていることが多い。たまにツギハギだらけの酷い格好のときもある()

その殆どがギャグ調で描かれており、遊び心を感じて楽しい。シリアス調で描かれたものも僅かにあるが、そちらは単行本未収録なのが残念。劇中の八幡の台詞から判断するに「少年ジャンプ※で番場蛮をモデルにした巨人軍漫画を描いている梶原一騎先生と井上コオ先生」が存在しており、侍ジャイアンツ世界にはどんな漫画が連載されていたのか気になる。これは劇中劇として是非読んでみたかった!

これから原作漫画版を読む際は是非注意してご覧になって頂きたい。

※単行本収録の際にカットされているが、巨人軍宮崎キャンプの取材に原作者:梶原一騎先生と漫画家:井上コオ先生が訪れるシーンが存在し、その際に週刊少年ジャンプ連載について触れる台詞がある。

 


フロム・エー1994年11月29日号より。頁下部に「ナンパ侍」として復活予定の記載がある。
フロム・エー1994年11月29日号より。頁下部に「ナンパ侍」として復活予定の記載がある。

16.幻の「ナンパ侍」と90年代特有の空気

(外)(作)

 

「侍ジャイアンツ」の番外編シリーズである「生活侍」「バイト侍」はアルバイト情報誌に毎週1頁(生活侍は途中2頁に変更)フルカラー掲載という特殊な形で発表された作品である。単行本化はされていないが、当時の掲載誌を確認すると好評だったと思われる。特に「生活侍」は2頁構成になってから読者投稿欄も設けられ毎週読者から寄せられたアイデアを蛮が審査、合否を決めるという内容だった。「生活侍」全39回、「バイト侍」全28回と併せて1年以上の連載となったが、「バイト侍」は取り扱うテーマの関係上、話の幅を拡げるのは難しかったのか、ややパワーダウンした印象なのが残念である。だがこれは更なるリニューアルを予定しての完結だった。「バイト侍」最終回掲載号(フロム・エー1994年11月29日号)には、掲載誌を月刊誌「宝島」に移し、「ナンパ侍」として復活するとの記述がある。

「番場蛮はフロム・エーから去りますが、あの宝島で「ナンパ侍」として復活するゾ。年末年始は要チェックしてくれヨ!じゃあな!」とあるが、確認した所「宝島」に掲載は無い。1990年代の「宝島」誌は非常にアダルト色が強かったことが理由なのかは不明だが、先の2作の暴走ぶりを見るに、これはこれで面白い作品になった可能性があるので実現しなかったのは残念だ。

しかしフロム・エー誌に掲載された僅か2頁の外伝「よみがえれ 侍」の掲載と、JICC出版局(後の宝島社)発行の名作漫画の最終回を纏めた「いきなり最終回」全4巻(2巻に「侍ジャイアンツ」最終回掲載)のヒットがきっかけとなり始まったと思われる番外編シリーズの気楽に読める面白さを認めつつ、毎回フルカラー、1年以上の連載期間という恵まれた環境を振り返るに「正当なる続編を描くチャンスもあったのではないか?」と思わずにはいられないのがファン心理。井上コオ先生自身に描いて頂ける機会があったにも関わらず、そうならなかったのは80~90年代特有の何処か真剣さを茶化す空気も影響しているだろう。この時期に熱く燃える続編が受け入れられたかは疑問である。

 


17.去っていくヒロイン

(原)(ア)

 

本作のヒロインである美波理香は、物語の流れに大きな影響を与える重要なキャラクターである。

序盤で頑なに巨人軍に反発する蛮に入団を決意させるきっかけとなる言葉を口にしたり、徐々に野性味を失いつつある蛮を奮起させ、それがハラキリ・シュート誕生に繋がる等、転機となるエピソードには彼女の姿があった。

アニメ版ではバイクを乗り回す活動的な面も描きつつ、どこか達観した雰囲気の彼女だが、最終回で心密かに蛮のことを想い、応援していた健気な面を見せ、涙を流し海外へ旅立つ姿が強く印象に残る。出番の多かったアニメ版では本心を見せた最終回を除き、そのキャラクターはブレがなく、理香といえばアニメ版を連想する方が多いだろう。

原点たる原作漫画版ではやや印象が異なり、序盤はアニメ版と然程変わらないものの過酷な運命が彼女を待っていた。地元の大網元の娘である彼女は裕福な環境で生まれ育ち、蛮の巨人入団と同じタイミングで東京の大学へ進学したが、その後暫く登場しなくなる。再び登場したときは穏やかな大人の女性に成長していたが、親の会社の経営が悪化し、地元銀行からの援助を受けるための犠牲となり、銀行頭取の息子と政略結婚させられることになる。

この「ヒロインが望まぬ相手と結婚することになる展開」は本作に限らず他作品でも見られるが、大抵は何らかの妨害が入るのがお約束(?)で、同原作者の「火之家の兄弟」(作画:かざま鋭二先生)でもヒロインは難を逃れている。だが理香は本当に結婚してしまい、蛮の前から姿を消してしまうのだ・・・衝撃的な展開である。

せめてもの救いは婚約者が典型的な金持ちのボンボンとは言え、悪人ではなく理香を大事にしそうな所か。その後理香はどうなったのか作品内で語られることは無かったが、幸せになっていて欲しいと願わずにはいられない。最終回で一カットでもあれば・・と惜しい気持ちにもなるが。

彼女の再登場と永遠の別れと引き換えにハラキリ・シュートが誕生し、蛮は野性味を取り戻し、物語は魔球路線を終え、次なる展開へ進むことになるのだ。この巧みな構成には唸らされる。

 

18.美波理香の原型?

(作)

 

同原作者作品「モーレツ!巨人」には後の美波理香を思わせるヒロイン・芦原涼子が登場する。が、作品内における立ち位置は理香に近くとも、その行動は全く異なる。理香は精神的に大人で蛮より上手な面があったが、涼子は大人を演じる浅はかな子供として描かれる。所謂”ホンモノの男”を愛し、自分に媚びて自宅に集まってくる学生たちを見下し、主人公・千波竜介のことも当初は小馬鹿にしていたが、彼がストイックに野球に取り組み成長していくことに対して、何処か嫉妬のような感情を抱くことになる。この複雑な心理描写は新聞紙連載故だろうか?少年向けの内容でないことだけは確かである。竜介の活躍を喜ぶことはなく、裕福な家庭に生まれ恵まれた環境であるにも関わらず、人生を悲観し、斜めに構えた態度を取り続ける姿が印象に残る。だが本心ではそんな自分を嫌悪しており、竜介を誘惑し寮の門限を破らせるために一夜を共にした後、一人涙するのだ。到底ヒロインとは言い難い行動だが、それ故にインパクトは強く、終盤は彼女が主役といっても過言ではない。自暴自棄の末に自動車事故を起こし重傷を負い帰宅、TVに映るオープン戦に出場した竜介が出塁するか否かを確認し、もし凡退すればこの「タイクツな世界」で妥協して生きると決める。そうでなければ・・・・本作は服毒自殺した彼女の姿で幕を下ろす。あまりに自分本位且つ短絡的な行動で、読者の共感を得られるようなキャラではない。が、それ故に主役をも食ってしまった感がある。後の「サムライ」に繋がる「モーレツ」な男を描く筈だった作品の結末が彼女の自殺というのは意外であり、些か釈然としない展開であった。美波理香が芦原涼子を原型としたかは不明だが、立ち位置は似てもここまで異質のキャラが「侍ジャイアンツ」より先に誕生していたことに驚く。

 


「炎の巨人」連載第一回扉 (週刊少年ジャンプ1974年10月21日(No.43)掲載)
「炎の巨人」連載第一回扉 (週刊少年ジャンプ1974年10月21日(No.43)掲載)

19.侍ジャイアンツ終了後の「他誌では読めない巨人軍漫画」

(作)

 

「侍ジャイアンツ」完結後、史実において巨人がV10を逃したのは約一カ月後の出来事である。「巨人が優勝を逃せば連載終了」という連載開始時の取り決めに関しては「03.優勝を逃せば連載終了」で解説したが、「侍ジャイアンツ」の終了は週刊少年ジャンプが独占契約を結んでいた「実名の巨人軍選手を登場させる権利」を放棄したという意味ではない。史実では巨人の人気に陰りが見えることはなく、商業的に撤退する必然もない。翌週には新たな巨人軍漫画「炎の巨人」(原作:三枝四郎先生、漫画:竜崎遼児先生)※の連載がスタートしている。しかし、史実を背景に展開する作品として、これほど予想外の影響を受けた作品があっただろうか。史実が物語の展開にネガティブな影響を及ぼしたのは「侍ジャイアンツ」以外では同原作者作品の「新巨人の星」「巨人のサムライ炎」などがあるが、この「炎の巨人」はそれ以上と言っても過言ではない。連載開始時はV10を逃すのは時間の問題という状況だったが、この作品は「次期監督・長嶋茂雄」を前面に打ち出しスタートしている。V10を逃すことは想定内で、長嶋茂雄新監督の下で再び栄光を目指す巨人軍と主人公の活躍を華々しく描く予定だったことは、その内容、劇中の登場人物の台詞などから明白である。しかし・・・・巨人が優勝を逃し「侍ジャイアンツ」の連載も終了した翌年である1975年(昭和50年)に巨人軍は「球団史上初の最下位」という無残な結果に終わってしまう。新生・巨人軍を舞台とした物語はあまりに厳しい現実の前に急激に失速。約一年の連載で終了してしまう。前半はカラー掲載も多く、大いに期待されていたことが伺えるだけに、これは予想外だったのではないか。「侍ジャイアンツ」終盤は史実を反映させつつ、既に物語は終局に向けて進んでおり、アニメ版の終了も確定していたためか週刊少年ジャンプ内での比重はそれほど大きなものではなく、あくまでも連載陣の一つという扱いであったが「炎の巨人」は長期連載となった前作を終わらせた上で始まった期待の作品だった筈である。1976年(昭和51年)に連載開始した「新巨人の星」等で強烈に否定されることになる長嶋監督が就任後に掲げたスローガン「クリーン・ベースボール」を全面的に肯定している作品は、おそらくこの作品だけだろう。いかに史実を背景に物語を創作することが難しいことか再認識させられると同時に三枝先生、竜崎先生の苦労が偲ばれる。

※巨人は「ジャイアンツ」と読む

 


20.空白の一ヶ月に何があった?

(原)

 

原作漫画版「侍ジャイアンツ」は第149回「不死鳥とぶ!の巻」の中で描かれていない空白の期間が存在する。

最終章「V10試練の章」は全9回、週刊少年ジャンプ1974年10月14日(第42号)※店頭販売日9月17日で終了。1974年ペナントレースで巨人がV10を逃し、中日が優勝したのは10月12日。「V10試練の章」開始時点で既に終了に向けて進行していると考えるのが妥当であるが、「分身魔球」の登場はこの第149回ラスト、何と最終回1回前である。物語は無事に完結しているものの唐突な印象は否めず、誕生に至る経緯は今も謎のままである。そこでここまでの流れを整理してみる。

 

【最終回までの流れ】

・ハラキリ・シュートが封印され蛮は一軍登録抹消となる。

・意気消沈する蛮だが、ルールの盲点をついた明智・衣笠コンビの二段打法にヒントを得て、「投の大魔球」が生まれるかもしれないと八幡に協力を依頼する。

・その内容に八幡は驚愕し協力を約束する。誕生すれば球界の歴史を塗り替えると。

・それから約一ヶ月後、突如登場した新魔球、その名は「分身魔球」!!

 

【考察】

・・・この一ヵ月の間に何があったのか?原作漫画版では一切語られず、原理は蛮や八幡の口から明かされることはなかったが、その描写から先にアニメ版に登場している分身魔球と同じく「握りつぶした後の反動でボールが激しく揺れて残像現象を引き起こす」ことは分かる。

 では何故蛮はボールを握り潰せるようになったのか?原作漫画版では描かれていないが、元々分身魔球の登場はアニメ版が先であり、いわば逆輸入の形で本編に登場することからアニメ版を踏襲するのが自然だろう。但し、原作漫画版は魔球の多投が衝撃の結末に結びつく展開なので、その設定をそのまま原作漫画版に当てはめることは出来ない。アニメ以上に力任せに変形させるからこそ体力が奪われていくのだから。

上記を踏まえつつ、どんな流れだったのか推測する。 

 

【侍ジャイアンツ「第149.5回」予想】※文字をクリック

 

【まとめ】

空白期間をアニメ版での魔球誕生の経緯を取り入れながら原作漫画版と矛盾せず、且つ「侍ジャイアンツ」らしい直球の展開で纏めれば上記に近い内容となるのではないか?他作品も含め、新魔球の開発と初披露の経緯はシチュエーションが限定されるため、ある程度の流れがどうしても重なる点は否めないが、本作に関しては死を予感させる点を除き、パターン破り的な展開は合わないと判断した。

劇中で変化の原理は明かされないとあるが、それは自然借力法が命を奪いかねないことを蛮が伏せているとすれば説明がつく。そして物語は第150回(最終回)へ・・・

 


21.不定期更新

(原)(ア)(外)(作)

 

※不定期更新


22.不定期更新

(原)(ア)(外)(作)

 

※不定期更新